名古屋高等裁判所金沢支部 昭和27年(う)87号 判決
原判決挙示の各証拠を綜合すれば、原判示の事実を肯認するに十分である。弁護人は、「被告人は、自動車運転者たる者の注意義務の履行に欠けるところがあつた為、自己の操縦する自動車の後部を、富木義雄の身体、若しくは、同人が乗つて居た自転車の車体に接触するに至らしめ、同人を自転車から顛落させ、これに傷害を与え、因て同人を死に致したものではなく、被告人の操縦する自動車が富木義雄の自転車を追越そうとするに際し、偶々、これを路傍に避譲しようとした富木義雄が、狼狽の余り、自転車の操縦を誤つたため被告人の自動車と少しも接触することがなかつたにも拘らず、自ら其の場に顛倒して負傷し、その結果死亡するに至つたものであつて同人の死亡につき、被告人がその原因を与えたものでない。」旨主張するけれども、しかしながら、原判決挙示の各証拠、就中(中略)を綜合すれば、(一)被告人が昭和二十七年五月七日右第一の五〇二一号貨物自動車を運転し、石川県鳳至郡輪島町より同郡大屋村字空熊に向けて進行中、同日午後一時過頃同郡大屋村字小伊勢地内県道上に差蒐つた際、同方向に向け富木義雄(当時三十二年)が自転車に乗車し、該県道の中央稍右寄りを操縦進行しつつあるのを認めたこと、(二)偶々道路を反対の方向から歩行して来る二、三名の人があつたため、被告人が警笛を鳴らしても、富木義雄は僅かに右に寄つたのみで、依然として道路中央稍右寄りを前同様の速力で進行していたこと、(三)被告人はハンドルを先づ右に切り、次で左に切替えて、カーブを描きながら、富木義雄をその左側から追越そうとしたこと、(四)その際、被告人の運転する自動車の速力は、毎時約二十五粁前後であつたこと(この点につきこれと牴触する被告人の弁疏は採用しない。)(五)自転車を左側から追越すに当り、自動車の左側車輪から道路左端まで距離に見つもつて、なお二尺余りの余裕があつたこと、(六)自動車運転者たる者は斯る場合、事故の発生を防止するため、道路の前後左右を注視し、自転車乗と接触することなく無事通過し得るや否や、或は、自転車乗りが危険発生の虞れのない地点迄避譲したか否かを確認した上、状況に応じ速力を加減して通過する等、万全の措置を講ずべきであつたにも拘らず、斯る措置を講ずることなく、富木義雄の自転車と殆どすれすれに接近した態勢をもつてこれを追越そうとし、且、両者が併行するに至つた際、大声で「こら」と叫びながら、窓より手を出し、恰も同人を殴打するが如き身振りを示したものであつたこと(この点に関する被告人の弁疏は採用しない。また、原審証人水上美紀男の「被告人は自転車乗りの頭をたたいた様だつた」旨の供述部分も採用しない。)(六)自動車が自転車を追越し掛つた際、自動車の後部にシヨツクを感じ、恰も小石又は丸太を轢いた場合に於けるが如く、後部車輪が俄かにバウンドし、同時に富木義雄の自転車が右側に倒れたこと、(七)自転車の泥除けが横から押付けられた様に曲つていたこと、(八)富木義雄は顛倒する際右骨盤骨折及び陰部破裂創を負つたものであり、其の原因は、相当強大な力が、鈍器によつて、同人の跨間に対し、下部より上方に向け加えられたことによるものであつたこと、(九)その結果、同人は同日午後四時頃死亡するに至つたこと等の諸事実を認定するに足り、これ等の諸事実、殊に、両者の接近併行した情況、被告人の自動車がシヨツクを受けバウンドしたこと、富木義雄の自転車の特殊な破損の仕方、富木義雄の傷害の部位、程度並に其の原因である力作用の方向等を綜合考察すれば、被告人の操縦する自動車の車体若しくは車輪が、富木義雄の身体若しくは自転車と接触したものであり、其の結果、同人を顛倒せしめてこれを死に致したものであることを肯認するに十分である。尤も、これ等の資料に徴すれば、被告人の自動車が富木義雄の自転車を追越そうとするに際し、兎も角も前車輪は其の傍を無事通過したものであり従つて其の後両者が相接触するに至つたのは、富木義雄の自転車が若干動揺し、そのハンドルを左右に振つた為であつたことを看取するに難くないけれども、仮令結果の発生に対し、其の原因として挙げ得るものの中に、加害者の過失の外、なお、被害者の過誤がこれと競合し併存するとしても、これによつて加害者の過失の責めを阻却することを得ないのみならず、既に判示したところによつて明瞭であるが如く、被告人は被害者と極めて接近して進行し、且、通過の際には、ことさら被害者の心身を動揺せしめるに足るような挙措を敢てしたものであり、従つて、被害者の身体並に自転車をして動揺せしめそのハンドルを左右に振らしめるにつき、これが原因を与えた者は、実に被告人それ自身に外ならなかつたことを認定し得る本件に於ては、被害者の不注意として特に指摘すべきものが、殆ど存しないものである。これを要するに原判決は事実を誤認したものでないから論旨は理由がない。